パンドラの匣

呟き
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かれこれ15年くらい、画像容量オーバーで8つほど移転しながらブログを書き続けていて、初期のものはブログ会社サービス終了で無くなってしまったのですが、そのもう無くなったブログに、「パンドラの匣」というタイトルで大切な友達が結婚した時のことを書いたことがあり、もしかしたら、ずっと読んで下さっている方は、ぼんやり覚えているでしょうか。

*

高校時代から美人で華やかだったその友達は、服飾の大学に進み、ファッション関係の仕事に就き、当時はバブル崩壊後で就職氷河期と言われていた時代だったけれども、今から思えば充分活気があって、東京にいた20代の若者達はわりと派手に遊んでいた時代だったから、会社が青山や銀座にあった私たちも、よく夜遊びしていた。

仕事に熱心になるにつれ、ただ真面目なだけでやっていける仕事ではないし、高校時代の素朴さはなくなっていった。20代ならよくあることだと思う。

そんな仕事も遊びも楽しい27才の頃、私は結婚をした。

当時の彼女は結婚をしたいとまるで考えていなかったので、私が報告をした時の反応は、つまらない選択をしたわね、くらいの感じだったと思う。仕事が充実した20代にはよくある話でしょう。

私は派手な都会の夜遊びにも疲れてきていたので、住宅街の静かなマンションで始まった結婚生活がちょうどよくなっていた。

私たち夫婦はまず入籍をして、半年後に挙式をしたので、あまり今までと変わりなくひっそりと結婚生活が始まり、周囲の人には、いつお祝いをしたら良いのか、迷わせてしまった気がする。

入籍して2か月ほど経った頃、友達から、お祝いは何が良い?と聞かれた。

彼女は服飾の大学を出ていたので、裁縫箱が欲しいとお願いした。

裁縫箱?そんな物で良いの?何かもっと、素敵な食器がいいとか、洒落たリクエストはないの?…そんな反応に、私も、そんな自分が随分と所帯じみたような気がしたものでした。

それから、しばらく経ったある夜に、突然彼女からメールが来た。近くにいるから、家まで届けたいものがあると。

夜10時ごろ、マンションの前に出て行くと、彼女は、付き合っていた彼(現・旦那さん)の車に乗ってやってきて、はい、これ結婚祝い、と大きな袋を渡して、颯爽と帰って行った。

家に入って袋を開けてみたら、立派な裁縫箱が入っていた。

わざわざ、母校の売店まで買いに行ってくれたらしく、上段には色鮮やかな糸がずらりと並び、下段には針や鋏や巻き尺などの裁縫用具がたくさん入っていた。

その裁縫用具を取り出して見ていたら、箱の奥底に、手紙が入っていた。

封筒を開けてみると、高校時代、授業中にこっそり回した手紙に書いてあったのと同じ、きれいに整った小さな文字で、結婚おめでとう、と長い手紙が綴られていた。

結婚の報告をしてから、祝福をしてくれたのは、これが初めてだった。

その見事なまでのツンデレふりに恐怖と感動を覚えて、背筋が震えて涙がこぼれた。

パンドラの匣というギリシャ神話をご存知でしょうか。

まだ人間に男性しか存在しなかった時代に、神ゼウスが、パンドラという女性に、あらゆる災いや悪を閉じ込めた箱を持たせて、初めて女性を人間界に送り込んだ。人間界に着いたパンドラが好奇心からその箱を開けてしまった時、災いや悪が地上に飛び出し、慌てて箱を閉めると、中には希望だけが残ったという話…。

私はこの裁縫箱を見ると、パンドラの箱を思い出す。下段にひっそりと入っていた手紙は、まさに希望の光のような存在だった。

我が家が日本を出る時、あらゆら荷物を処分してきたけれど、この裁縫箱はもちろん一緒にシンガポールにやって来た。

多分このまま一生、私はこの裁縫箱を使い続けて、開けるたびに彼女を想うでしょう。

この彼女が、今回シンガポールに遊びに来てくれた友達でした。

その約3年後、彼女も結婚をした。

お互い子供がいなかったので、独身時代よりは回数は減ったけれど、たまに仕事帰りに会って食事をするのは変わらないまま8年経った。

その後、数年間、会えなかった時期がある。

私が妊娠・出産をして、彼女は当時ロンドンにいて、ハロッズの可愛いベビーグッズを贈ってくれた。

ただその後、私は毎日育児で寝不足だったり、母として新しいコミュニティに入って生活していて、昔のようなお洒落をして都心に出掛けて行くこともなくなり、なかなか彼女とは会えなかった。

数年経って、私もヒールを履く気持ちが戻って、そろそろ、また以前のように会いたいなと思った矢先、年賀状で彼女の近況を知った。

「大病しました。でも生きてるから安心して。完全に復活したら会いましょう」

まだ30代後半で、その病気になるなんて、考えもしていなかった。

それから半年程して、息子が幼稚園に入って、日中に一人で出掛けられるようになった頃、数年ぶりに銀座で待ち合わせをした。

彼女は大病でやつれた様子もなく、以前とまったく変わらない美しさで、まず一目見てホッとした。

病気について淡々と話すので、私も「大変だったね」みたいな言葉を出すのは違う気がして、淡々と話を聞いた。

「まだ生きるわよ。夫も、親も、まだ置いていけないからね」

本当は、目に見えているよりも大変なことはたくさんあるのだろうけど、きっと彼女なら大丈夫と信じている。

*

日本とシンガポールは、飛行機に乗ってしまえば、7時間程で行き来できる。

今回、F1開催の2週間前に急に連絡が来て、一年ぶりに会うことができた。

そう書くと簡単に会えたように見えるけど、シンガポールで会う日が来るなんて、夢のようだった。

次は東京で会いましょうね、と別れ際にした約束が、様々な事情で叶わないかもしれないことを知った私達は、昔よりも、会えた時間を大切に過ごすようになった気がする。

年を取るごとに、時の流れは早く感じるし、ぐんぐん老化は進んで行くけれど、彼女に会う時はできる限りきれいな姿で会いに行きたい。

これからも一緒に年を重ねて、たまにお洒落して、美味しいお酒をちょっと飲んで、楽しい時間を過ごせますように。

裁縫箱の底にある希望をそっと覗いて、昔の思い出に浸ってみました。

*

(パンドラの箱を匣と書いたのは、このギリシャ神話を知ったのが太宰治の「パンドラの匣」だったからです)

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