小樽で祖母の記憶を辿ったセンチメンタルジャーニー

◆日本一時帰国
スポンサーリンク

今回の北海道旅行は、息子を祖母が生まれ育った小樽に連れて行ってあげたいと思ったのがきっかけでした。

祖母の生家は小樽の岬のあたりにある赤岩というところにあり、曽祖父は警察官でありながら、家は大きな遊郭を営んでいたという話を聞いていた子どもの頃は、理解ができていなかったのだけれど、大人になって調べてみると、その辺りは公営遊郭があり、警察の官舎があったエリアだと知りました。警察官が遊郭を営むということが、公に認められていた時代だったようです。

祖母は戦後に結婚して千葉に移り住んだので、人生のほとんどは千葉で暮らしたにも関わらず、私が子どもの頃に夏休みに泊まりに行くと、いつも北海道の話をしていて、生まれ育った場所というのは忘れられないものなのだなと、子どもながらに思ったものでした。

再開発でもう生家はないから、と今まで赤岩を訪ねたことはなかったのですが、40歳を超えて始めた仕事でヘリテージ関連に携わり、過去の資料の調べ方が身についてみると、祖母の話の糸を辿って色々とわかったことがあり、隣の祝津にはニシン漁で栄えた番屋がまだいくつも残っており、その時代が祖母の生まれた時代に重なることがわかり、今回訪ねてみようと思いました。

昭和初期の小樽は外国の船が着く港として栄え、中心地に銀行の立派な建物が並び、その瀟洒な街並みが今でも保存され、観光で人気ですが、その小樽とは少し違う歴史を訪ねてみようと、ホテルからタクシーに乗って出かけました。

小樽の水族館あたりで人気の漁師民宿が営む食事処「青塚食堂」が朝10時に開店するので、朝と昼を兼ねた食事をしてから、歩いて番屋めぐりをする予定でしたが

その話をタクシーの運転手さんにしたところ、

「それなら祝津の岬に行ってみましょう。岬に着いたらメーターを止めるんで。その後に青塚食堂まで送りますから。きっと赤岩に生まれ育った人なら、その岬から今と同じ風景を見てたんじゃないかと思います」

そんな提案をいただいて、タクシーで岬の展望台まで行ってみました。

この日は小雨の予報で、曇り空の観光だと思っていたけれど、ちょうど岬に着いたときに雲が晴れて青空が見えました。

この先にはロシアがある北の海の深いブルーが、吸い込まれそうな美しさで

祖母はサファイアのジュエリーが好きで、私は子どもの頃から、よく祖母が付けていたサファイアの指輪が好きだった。祖母に抱かれながら、指輪の青い石がきれいで、よくそれを触っていた記憶がある。

「私が死んだら、この指輪をあげるね」と祖母がよく笑って言っていたそうで、15年前に亡くなったときに、本当に二つの指輪を形見分けにもらいました。昭和の時代につくられた、土台のプラチナ細工も豪華な指輪。

その当時は、こんな大きな宝石が入った指輪は日常使いできず、なかなか出番がないと、大切にしまっておいたのだけれど

私も年を重ね、40代半ばくらいから、この指輪のうちの1つを毎日着けるようになった。

小樽の海の深いブルーは、まさに祖母が好きだったサファイアの色に重なり、彼女がなぜサファイアを好んで着けていたのか、わかったような気がした。

息子を小樽に連れて行きたかったのと同時に、この指輪を付けて、祖母も一緒に小樽に連れて行ってあげたいというのが、この旅の密かな目的。

タクシーで岬を出たら黒い雲が流れてきて、青塚食堂に入ってすぐに冷たい雨が降ってきた。

快晴の青空の下で小樽の海を眺めることができたのは、祖母からのプレゼントだったのではないかと思っている。

タイトルとURLをコピーしました