隔離生活中に志村けんさんの急逝のニュース。
現実的に受け止められず、日本のYahooニュースを眺めて、気が付くと泣けてきてしまう、昨日はそんな1日でした。
1970年代生まれの私が物心ついた時には、もう志村さんはドリフターズに加入していて、一番若いお兄さんでした。
子供の頃は毎晩8時に寝室に行っていたけれど、土曜日だけは特別に、ドリフターズを観てから寝ていたものでした。
親が子供に観せたくない番組として有名だったので、親は嫌そうにしながらも、笑いをこらえられない…そんな風景が、他所の家庭にもあったんじゃないかなぁ、という昭和の話。
このオープニングテーマが流れると、兄弟三人TVの前に集合したものでした。
初代バージョンはうっすらとしか記憶になく、よく覚えているのはこれ。
ヒゲダンスのレコード、家にありました。
昭和のたいていの家庭にはすごい大きなステレオセットがあったと思うのですが、そこでレコードを回して、踊ってて。
夏はスイカをこうやって食べて、怒られたり。
キリスト教徒ではない我が家では、聖歌隊を知ったのもドリフターズでした。笑
よく「大人になったらドリフの笑い屋になりたい」と思っていたものです。
この英語コントは、息子に見せたら、転がって笑っていました。
全員集合!が終わり、加トちゃんけんちゃんごきげんテレビに変わり
だんだんと、とんねるずが人気になったり、関西からダウンタウンがやってきて、人気の笑いが変わっても
バカ殿様はずっと面白かったし
志村どうぶつ園が始まった頃には、私は社会人になって、あまり観ることはなかったけれど
ずっと一線で活躍してきた志村さんが
突然、全世界を震わせている新型肺炎で、亡くなってしまうなんて
そんなことがあるのかと
更にコロナウイルスが怖く憎くなりました。
ご親族も面会できず、最期に一目会うこともできずに、葬儀もできないだなんて。
ドリフターズといえば、よく葬式コントもあったなぁと、絶妙な間合いのコントを観て笑いました。
本来なら、何千人、何万人、たくさんの人が集まって送り出す偉大な方なのに
それすらできない今
でも、こうして隔離生活中に、一日中懐かしの映像を堪能して、大笑いするのが、供養かもしれません。
長さんが亡くなる前に、久しぶりに集合したドリフターズも、最近のことのようだけど、2003年のことだから、もう17年も前になるんですね。
いつまで経っても、長さんは絶対的なリーダーで、加トちゃんはスターで、志村さんは末っ子な立ち位置が変わらないのが、いいなぁと思った覚えがあります。
病気をおして参加された長さんが、いつ倒れてもサポートできるように、加トちゃんがパッと先に歩いて行ったり、志村さんは長さんに合わせて歩いていたり。
ごきげんよう、で閉じる
古き良き日本のお笑い番組でした。
たくさんの名コントがあり、人それぞれに思い出がありますよね。
海外に暮らしている今でも、こうやって懐かしの動画を観ることができる時代で良かった。
ご冥福をお祈りします。
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