炊飯器がご臨終しまして、買い替えました。
TOSHIBAの廉価モデルですが、日本にいた時のように、お米にこだわって、魚沼産コシヒカリとかを炊くわけでもないので、これで充分。
今まではシンガポールに来てすぐに買ったTefalの炊飯器を使っていて、窯がペラペラに薄くて、ふっくら美味しいご飯など炊けなかったので
やっぱり炊飯器は日本メーカーに限るなと。
日本にいた時は、もう15年くらい前になりますが、8万円もする炊飯器を買って使っていて
シンガポールに引っ越す時にうちの実家に置いてきて、まだ健在のようですが
最初からそんな高価な炊飯器を買うつもりは無かったのです。
なぜ、当時30歳くらいの夫婦が、8万円もする炊飯器を買ったのかと言うと
大型家電量販店ケーズデンキに行って、炊飯器コーナーを見ていたら、ピンからキリまでずらっと炊飯器が並んでいて、どれを選んだらよいかわからずにいたら
すごい東北なまりの素朴な青年販売員がやってきて
安いものから高いものまで、何が違うかを、丁寧に、丁寧に、説明してくれたわけです。
この最高級ランクの炊飯器は、中で米がふつふつと回るのだと。
だから、炊きあがりに、しゃもじでお米を混ぜなくても良いのだと。
でも決して最高級の炊飯器を勧めるわけではなく、廉価版も、3万円くらいの中級な商品も、それぞれの価値をとてもわかりやすく説明してくれて
最後の最後に、最高級ランク炊飯器の前で立ち止まり
「選ぶのはお客様です。私はただ、お客様に美味しいお米を食べて頂きたい。ただ、それだけです…」
と呟いたわけです。
素朴な青年が、朴訥な感じの東北弁で。
もうそれを聞いてしまったら
「それを頂きます」
と言う以外に、何が言えるよ。
すごい力技な接客するな、ケーズデンキ。
と、我が家では忘れられない接客ナンバー1がその炊飯器。
でもそれで炊いたご飯の、美味いこと。
8万円の炊飯器を衝動買いしたことを全く後悔しなかったくらい、美味しかったんですよ。
その東北弁の青年を見ていたら、思い出して、涙が出そうになったのは
浅田次郎の名作、「壬生義士伝」の、南部地方盛岡藩の貧しい脱藩浪士、吉村貫一郎を思い出してしまったからで
映画版の中井貴一さんが、もう本当に上手くて、情けなくて、貧しくて、強くて、郷に置いてきた妻子への想いが深くて、自分は空腹に耐えても妻子が食べていくための銭を残して、もう涙で画面が見えないくらい泣かされるんですけど
2時間あまりの映画版には入り切らないエピソードが、小説にはあって
吉村貫一郎が亡くなったあと、父の顔を知らずに育った息子が、大人になって、大学教授になり
食べる物がない東北地方で、飢える人がいなくなるように
寒い大地でも丈夫に育つ稲穂を研究して
吉村早稲という米を作った学者になったというエピソードが最後の最後にあって
日本人の心の琴線をかき鳴らされるような
ぴかぴかの米を腹いっぱい食べられる歓びがたまらず
体中の水分が無くなるんじゃないかというくらい泣けるんですが
それを思い出して、8万円の炊飯器を衝動買いした事を
南国シンガポールで思い出しました。
あの東北なまりの青年販売員は、今から思えば
ケーズデンキが放った最強の刺客であった。
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