仕事の繁忙期と、息子の学校の学年末と、サマーホリデーに入ってすぐの日本帰省が重なって、ブログを開ける間もなく、1ヶ月くらい経ってしまいましたが
息子が3年間通ったインターナショナルスクールを出たので、その記録を。
小学1年〜5年の終わりまではブリティッシュスクールに通い、いずれ大学はアメリカかな…という私たち夫婦の考えで、アメリカの教育システムの学校も経験してみようと転校したのが、今までの学校でした。
今から思えば、ブリティッシュスクールは躾の面でも日本人の感覚に合って良かったところは多かったのですが
人気校で一学年8クラスもあるのに敷地がそう広くなく、元々広くないのに数年前に中学校の校舎も新設したため、建物が所狭しと建ってしまって
そこに新型コロナウイルス流行で、ソーシャルディスタンス、、となったら、運動や放課後のECAも制限だらけでままならず
小学校高学年の男子には息苦しさを感じて、敷地が大きく設備が整った学校に転校しました。
初年度(小学6年生)の頃は良かったのだけど
翌年、中学生になった年に、英語がほとんど話せないアジア人と南米人、ロシア人が大量に転入して、クラスメイトのほとんどが、英語でコミュニケーションが取れない状態。
担任も、英語が通じない生徒が半数では、どうにもクラスをハンドルできず、1タームで逃げ出してしまった。
家族よりも友達と話したい思春期に言葉が通じない、英語が話せない子たちは、教師に助けを求める語学力もなく
そういう状態に子どもを追いやる親が、そもそもインターナショナルスクールを語学学校と間違えているのでしょう。
親も教師とやり取りできない人たちが大半。どうにもならない状況から目を伏せるだけ。
そんな状況では、学校の授業では学習が進まず、宿題がどっさり。要は学校で教えるべき学習を家庭に投げてしまっていて。
これがシンガポールでインターナショナルスクールが乱立した現在の闇でしょう。
でも英語がネイティブレベルに話せる子たち=教師たちがコミュニケーションを取れる子たちにとっては、手厚い学習環境ではあったので、息子にとっては、アカデミックな面ではよい学校だったと思います。
第二外国語のスペイン語も毎日あったので、ブリティッシュスクールで興味が持てなかったマンダリンを習うより、充実した時間を過ごせたようだし。
中学1年がそんな環境になってしまったので、昨年(中学1年)の学年末を迎えたと同時に、転校先を決める活動に入りました。
シンガポールのインターナショナルスクールは、ウェイティングがない学校はすぐに転校できますが、人気校はウェイティングがあったり、ウェイティング制度を廃止した人気校は入学の一年前から入学申請を受け付け、選考プロセスに一年かかるので、すぐに転校はできません。
我が家は昨年の6月から希望校のスクールツアーやオープンスクールの見学を始め、行きたい学校を1つに絞って、9月に入学申請をしました。入試、当時の担任に依頼した内申書の審査、面接を経て、3月に入学許可の受理。
アカデミックイヤー1年かけて、受験したような転校活動でした。
その間に、同じように周りの友達も、シンガポール内での転校や、移住先の国への転校先を探していた子がほとんどで
仲良しの子はほぼ全員が、この学年末で転校となり、盛大なお別れとなりました。
遊び人の息子。笑 は、学年末の最終日を迎えた前後10日間連続で誰かしらと遊んで、よくそんなに遊べるなと感心するくらい遊び続けていた。若いっていいわね。
学校最終日は家族でなんとなく、しんみり迎えるのかと思いきや
4階建の一戸建て豪邸に住む友達宅でSleepoverし、最終日はみんなでタクシー登校。

最終日はうちに友達が2人来て遊んでたし(最終日はもう旅行や帰省で不在で、あっさり学校を去った子が多かった)

クラスマザーとしてよく子どもたちの面倒も見てくれたシンガポール人ファミリーのところの少年は、希望していたアメリカンスクールに、最後の最後で入学許可をもらって転校を決め
(この子は最終日の1週間前からアメリカの祖父母家に遊びに行ってしまった)

この一年よくお互いの家を行き来していた台湾少年は、男子3兄弟がみんな違う国にいるという一家なので、どこの国に行くか色々検討した末に、台湾のアメリカンスクールに転校を決めた。
台湾人だけど台湾には住んだことがないので、初めて定住するらしい。

台湾に帰る直前まで、毎日のように遊んでいた。ママもとても良い人で、お言葉に甘えてまた台北に遊びに行こうと思う。

学校や制服姿の写真は載せないので、あまりここに残せる写真がないけど
この学校に転校した初日からずっと仲良しの韓国少年は、うちの近所のローカルインターに入学申請中で(ローカルインターは1月スタートなのでまだ選考中)、転校が決まったら放課後に最寄駅で遊ぼう!と喜んでいる。
仲良しの女子たちは、インド女子はヨーロッパ系スクールに転校、インドネシア女子はアメリカの移住、そしてロシア女子は故郷へ。
ロシア女子の見送りに、3人で空港に見送りに行き、出国ギリギリまでお別れをしていた。

戦争している国に帰る友達を見送るのは、他の国に見送るよりもつらいものがあったらしい。
ロシアはWhatsAppもInstagram も使えないけど、VPNで繋がれるようで、今も連絡は取れているみたい。

別れの多いインターナショナルスクールに通う息子には、小さい時から
別れは門出
と言っていて
新しい出会いを楽しんで
別れは終わりじゃないし、新しい旅立ちを楽しんで
そう言い続けてきて、中学生になった今、ポジティブに自分の旅立ちも、友達の旅立ちも、受け止めて喜ぶ子になった気がします。
次のJourneyを楽しんで!
母がそばで見守れるのも、きっと、もうあと数年のこと。
息子の転校という節目の学年末は、きっと思い出に残る出来事でしょう。
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