息子が毎日のように遊んでいたコンドの仲良しオージー少年が、火曜の朝、ママと二人でパースに帰りました。
それはちょうど1ヶ月前に決まったことで
コロナ禍でママの就労ビザが更新されず
夫婦2馬力で働いて、3ベッドルームのコンドを借りて、ヘルパーさんを雇って、子供をインターに通わせていたご家庭が、1人分の収入を絶たれると、それは厳しいわけで…
パパはシンガポールに残って仕事を続け
母子はパースに戻って
またシンガポールの就労ビザが取りやすくなったら、母子が戻って来る予定で
パパもこのコンドを出て、急遽イーストコーストに部屋を借りて
パースへのVTLが開いたら、毎月、母子に会いに行くんだって。
そうやって親子が離れても、シンガポールでのビジネスは、ご家族にとって大きなチャンスであり
そして、離れていても大丈夫という家族の絆と信頼があるから、やれること。
とっても仲が良いご家族が、離れて暮らすと決めたことに、本当にこのコロナがつらくなったのだけど
片道切符のJourneyを楽しむ彼らには、これは未来を遠く見据えたベストな選択だったのだから
9月に、コンド内で違うユニットに引越しをしたばっかりだったし
この年末最終週までキャンプの予約をしていたから
母子での帰国は本当に1ヶ月前に急に決めたことで
借りたばかりのユニットの借り手を探し(1年2ヶ月はオーナーに支払いをしなければならないので)
ヘルパーさんのトランスファー先のご家庭を探し
パースで暮らす家を探し
子供の学校を探し…
怒涛の1ヶ月で、若く元気なママも流石に疲れ果てていたので
この1ヶ月はよくオージー少年を預かりました。
しょっちゅうお互いの家に転がりこんでいて
息子もオージー家のパパママ・ヘルパーさんに懐いていたし
オージー少年は、勝手知ったる我が家で好き勝手やって
私の秘蔵のチョコレートの在り処を知っていて、食べるし。
泊まる用意をリュックに詰めてきて、勝手に泊まるし。
「孫は、来て可愛い、帰って可愛い」と言う祖父母の気持ちがわかるような感じだったんだけど
もう息子の年齢的に、こんなに私や夫に懐く子供の友達もいないだろうな…と思う。
コロナ禍で学校がオンラインになって
インターに通う日本人のご家庭では、リスニングは維持できているけれど、スピーキングがガクッと下がったという話をよく聞きます。
オンライン授業では、外国人の友達と休み時間に遊ぶ時間がないのだから、そうなってしまうかな。
うちの息子が、コロナ禍で英語が日本語を抜き去ったのは
このオージー少年とご両親のおかげ。
お互いのオンライン授業が終わると、キッズメッセンジャーが鳴り、どっちかの家で遊ぶか、Facetimeで遊んでいたのだから。
和食一辺倒だった息子に、タコスやらチキンやら外国の料理の美味しさを教えてくれたのは、オーストラリアンカフェをプロデュースするご両親のおかげ。
フルーツをジェラートにするマシーンを買ったのよと、朝食に大量のジェラートを食べていたり、家じゃやらないことを知ったね。
出発前日は、朝オージー母子が出国前PCR検査に行ったので、我が家もみんな自宅でART検査をして
昼から夜8時まで家に来て遊んでいた。
そして、パパの一人暮らしでは使わず、母子でパースにも持って帰らないキッチングッズやプールグッズを大量に譲り受け
出発の朝、空港へ向かう一家の車を見送って
残されたヘルパーさんともお別れ。
息子とオージー少年が出会ったのは、お互いの学校帰りにバスを降りるとちょうど毎日顔を合わせていて
一人でスクールバスを降りて家に帰ってくる息子と、ヘルパーさんが迎えに行って帰ってきたオージー少年が仲良くなり、ママと私を繋いでくれたのはヘルパーさん。
少年たちをプールで遊ばせてくれたのもヘルパーさん。
おかげで私は本当にラクをさせてもらいました。
お互い男子一人っ子だからこそ、できたこと。
子供+ママという組み合わせだと、あまりに距離が近くなるとトラブルもあるけど、ヘルパーさんが平等に子供たちをかわいがって叱ってくれたのが良かったのだと思う。
早朝に見送って、残された我が家はぽっかりと心に穴が開いたようになっていたけど
空港から早々に電話が鳴り
パースに着いて隔離ホテルから電話が鳴り
2週間の隔離の間、きっと毎日オンラインで遊んでいるから
本当にもうコンドにいないのか、パースにいるのか、まだ実感がわかない。
今日は昼にピンポーンとインターホンが鳴り、ヘルパーさんが、次のファミリー宅に持って行く家具を解体するための六角レンチを貸して〜と、やって来た時に
ちょうど息子とオージー少年がFacetimeで遊んでいたので、ヘルパーさんも写して繋がってみたり
世界は遠くて近く、近くて遠いね。
就労ビザでシンガポールに滞在する日本人がまた自由に旅行ができる時代になったら、またパースに行きたいな。
パースシティからマーガレットリバー方面に2時間ほど行ったバンブリーという街に帰る母子に、会いに行ける日が来ますように。
2021年の終わりに、大きなお別れが、突然やってきたけど
別れは門出
少年たちに、明るい未来が開けますように。
今は大変だろうけど、その苦労が、いつか実となり花となり、血となり骨となって、生きる力を蓄えますように。
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